眠れぬ夜のWi-Fi

夜型人間の私はそれを戻そうとするが上手くいかない。

眠りたいのに眠れない夜は何もする気になれない。してしまったら朝になる。しかし正午に起床した私の脳はまだ活発だ。寝るために無心になるとまぶたの裏の真っ暗な画像が脳内に満たされ、このままいけば眠れそうと思うが、知らぬ間にすぐに言葉の思考に気をとられている。暗さだけがあったはずが、気づけば脳内の思考に耳を傾けていて、まぶた裏の暗闇を認識していなくなっている。

思考していると、その内容に付随して感情が生まれる。楽しかったとか嫌だったとか、おもしろいとか、そういうことを感じてしまうと神経が興奮して眠れないのだ。

私はたまらず暗闇の中体を起こす。

分厚くぼこぼこの加工がなされた窓ガラスをやっとの事で通り抜けてくる街灯の青白い光が、窓を覆うブラインドで細長く切られ棒状の連なりとなって浮かんでいる。

部屋にはもう一つ光がある。最近部屋に導入したWi-Fiルーターの放つ、これも青白い光である。手前奥二重に本が入れられる本棚の奥側、そこの本たちの上に横にして置いている。手前側の本の上には、縦に入り切らない本を横にして重ねているので、ルーターの前に本がある状態になり、その隙間を縫って届く光なので、ぼうっとしている。奥の方にしまったまま忘れていた本が一冊光っているみたいだ。

寝るときはメガネもないからますますぼうっとしている。

もう一度寝る努力をしようと思う。どうしても寝なきゃならないときに実践した方法で、有効だったものをひとつ思い出した。耳をすますという方法である。思考しているということは脳が動いているので、眠れない。しかし、外の車の音や扇風機の音、何かわからないいろんな夜の音を聞こうとすると、耳に意識が行き脳内思考を巡らさずにいられることが多いのだ。

まぶたの裏に注目するのも有効な事かもしれない。とにかく脳内に行くことを避け、自分の身体機関のどこかに神経を持って行くことは効果があるように思う。これは普段行わない、とても面白い行為でもある。自分の身体的な感覚の存在を新鮮に意識できる瞬間があるからだ。自分の手の感触に意識を集中してみたり、自分の体の形を神経で追っかけてみたり、色々やり方も発掘できそうだ。